地域の人との体験や対話を通して感動の行き交う授業づくり
平成22年8月26日
山都町立矢部小学校

 みなさん、こんにちは。
 中川でございます。よろしくお願いします。ご紹介いただきましたように現在、益城町で放課後子ども教室と学校支援地域本部事業のコーディネーターをしています。
 御船から本校に来るまでに、途中色いろんな事を目にしました。七滝ではスピード違反の取り締まりがあっていました。中島あたりではかなりの雨が降っていました。途中、いろんな車とすれ違います。二人で楽しそうに話し合いながらさっそうと運転しているオープンカーと遭いました。「あの二人はドライブを楽しんでいるが、中島あたりでは雨に降られてオープンカーではびしょ濡れになるだろうな」。若い人がものすごいスピードで運転しています。「あの車は、七滝でスピード違反で捕まるかもしれんな」と予測できます。
 同じように、人生においてもある程度の歳になりますと、「子どもたちはこう考えるだろうな」「こう行動するだろうな」と予測できることがあります。それは、これまでの人生でいろんな経験から予想や判断ができるからです。その経験から生まれた知識や技能を活かして、「学校教育のお手伝いをして欲しい」「手伝いたい」との考えが広まってきました。その一つが現在行われています放課後子ども教室であり、学校支援地域本部事業であり、ここ矢部小学校が今年から取り組んでおられます地域のみなさんの支援を得て基礎学力を向上させようとする取り組みです。
 これから益城町における取り組み例や私の教諭時代からの思いなどをお話しします。本校での取り組みのヒントになれば幸せです。
 振り返ってみますと、以前は地域の文化の中心は学校でした。人々の心の中には学校は高いところにありました。「登校」「下校」と言う言葉があるでしょう。これは武士がお城に参内することを「登城」、城から帰ることを「下城」と言ったのと通じます。学校が地域の文化の中心だと言われていた時代は昭和30年代前半までですね。30年代は、栃錦や若乃花が活躍していたときです。先生の許可を得て、学校のテレビで大相撲を観戦したことを覚えています。
 昭和40年代、カラーテレビが学校より先に家庭に入った頃から学校は文化の中心ではなくなりました。
 一方、学校教育の内容は膨らんできました。そして、家庭の教育力、地域の教育力の低下が指摘されるようになりました。
 しかし社会の変化とともに、多岐にわたる学校教育に対応するには地域の力の必要性が改めて認識されてきました。子どもの教育は学校だけが担うものではなく、学校、家庭、地域社会がともに連携して行おうとの機運が高まってきました。
 現在、県内でも多くの学校で「学校応援隊」などの名前で、地域の人が学校を支援している取り組みが始まっています。
 ここ山都町では、既に20数年前から学んで得た知識や技能を活かして社会貢献しようという取り組みが行われています。
 それは、「通潤橋案内ボランティア」です。今も開講されていると思いますが「高齢者大学」を卒業した人達が「私たちは町の税金で学ばせて貰った。何かの形で町に恩返しをしたい」と思っておられました。町社会教育課では、秋になると通潤橋の見学に来る県内のたくさんの小学校から通潤橋の説明依頼を受けていました。説明依頼を受けていると本来の業務が滞ってしまいます。どなたか説明できる人はいないだろうかと探していたのです。
 両者の気持ちがぴったり合致して、通潤橋案内ボランティアが誕生したのです。案内ボランティアの腕章を腕につけた方が通潤橋の案内をしておられるでしょう?
 この案内ボランティアの方の話を聞いたことがあります。
 高齢者大学で学んだことをもとに通潤橋を案内しているが、子どもたちは思わぬ質問をしてくることがある。阪神淡路大震災が起きた年のこと。「この通潤橋は、阪神淡路大震災のような大きな地震が起きても壊れないですか?」と質問があった。文献によると、矢部地方でも通潤橋が完成した後、幾度か地震があったがびくともしなく今にいたっている。「大丈夫ですよ」と答えたいと思ったが曖昧な知識で答えて子どもさんに間違った事を伝えてはならないと思い、「はっきりしたことは分からないので後で調べてお知らせします」と言って、図書館などで調べて返事した。案内ボランティアをしながらも毎日が勉強です。と。
 このことを以前は、「生涯学習ボランティア」と言っていました。つまり、社会貢献しながら学びを続けること、つまり生涯学習を実践していることですね。このような社会は、まち全体が生き生きとしています。まさに矢部地区がこれに当たると思います。
 私は、小学校で教員生活を送りました。子どもたちに国語や算数から音楽や家庭科まで教えていました。しかし、音楽や家庭を教えることはとても苦痛でした。無免許ではなくもちろん免許は持っていましたが、欠陥教員でした。
 嘉島西小学校では、音楽の授業でピアノが弾けませんので、今で言う「カラオケ」で曲の伴奏を流し、歌わせていました。一緒に歌うと、子どもから「先生は歌わんで。演歌に聞こえる」などと冷やかされていました。これで子どもが音楽が好きになるはずはありません。音楽は他の先生と交換授業をしていました。音楽専科と言って音楽を専門的に教える先生が来て本当に助かりました。
 家庭科では、裁縫や料理の指導ができません。調理実習で目玉焼きをつくる授業をしました。私は料理ができませんのでお母さん方に協力をお願いしました。数人の方が協力してくれました。グループに一人ずつ保護者がつき、目玉焼きをつくる学習をしました。あるグループでは、ハムを持参したお母さんからハムエッグの作り方まで教えてもらいました。
 裁縫では、雑巾縫いがありました。○○ちゃんのおばあさんに教えていただきました。私も一緒に縫いました。私の雑巾を見ておばあさんは、「なんな、先生が縫った雑巾はしわだらけじゃなかですか。おまけに糸目が右に曲がったり左に曲がったりしている。こっじゃ雑巾とは言えません」と言われました。おばあさんが縫った雑巾はミシンで縫ったようです。糸目も細くてまっすぐです。しわもありません。とてもきれいな雑巾でした。雑巾の縫い方を子どもたちに丁寧に教えていただきました。
 人権学習で、命について学習したことがありました。命の誕生についての学習です。私は長男が生まれるとき、動物園の熊よろしく分娩室の前の廊下を行ったり来たりして子どもの誕生を今か今かと待ちました。「おぎゃー」という産声を聞いたときの感動は今でも忘れません。このことを子どもに話そうかと考えましたが、「保護者も子どもが生まれたときの感動を持っている。あの感動を保護者に語って貰おう。その方が学級の子どもたちの感動も大きいはずだ」と考え、数人のお母さんに話をして貰いました。
 一人は学級委員をしているお母さんです。この方はいつもおもしろいことばかり言って子どもたちを笑わせていました。とても陽気な方です。その方が始めはいつものように笑いながら我が子の誕生について話をしていましたが、誕生したときの喜び、子育ての楽しさ、苦しさ、子どもにかける思いなどが頭をよぎってのことでしょう。途中から涙をぼろぼろ流しながら涙声で話されました。これを聞いていた子どもたちも全員泣きながら聞いていました。話が終わって、「いつもあんなにおもしろいことばかり言う○○ちゃんのお母さんが泣きながら話をするなんて思わなかった。○○ちゃんは誕生をお母さんやお父さんから喜ばれている。私もきっとそうだ。帰ったらお母さんから私の誕生の時のことを聞こう」という声が子どもたちから上がりました。そして翌日、子どもたちは家で聞いたことを発表しました。その中に、「『あなたは家族みんなから待ち望まれ、喜ばれて生まれてきたのよ。この命、大事にせにゃんばい』とおばあちゃんが言いました」との声もありました。この試みは大成功でした。
 夏休みに校内キャンプをしていました。運動場で父親の協力によりキャンプファイヤーをしました。キャンプファイヤーが終わってからが楽しみです。嘉島西小校区にはアユの養殖場があります。残り火で焼いたアユを魚に酒を酌み交わし、父親との交流を図りました。
 祖父母学級で、一人のおばあさんが百人一首の話をされました。それがきっかけで百人一首を子どもたちとしました。そのおばあさんの読み方が上手です。私は高校1年生の時、国語の宿題で百人一首を覚えました。しかし、カルタ遊びはしたことがありませんでした。ですから、ただ「はなのいろはうつりにけりないたずらにわがみよにふるながめせしまに」と文字を読んでいましたが、おばあさんは「はなのいろはー」と声に抑揚をつけたり、長く引き延ばしたりの読み方でした。まるでカルタ大会のような雰囲気でカルタ遊びをすることができました。子どもたちが「○○ちゃんのおばあさんはすごい」と感心します。褒めます。○○ちゃんは鼻高々です。あまり勉強に興味を示さなかった子がこのことをきっかけに勉強を頑張るようになりました。
 これまで私の教諭時代のことを話しましたが、全て私一人でできるものではありません。保護者を始めたくさんの方の協力があったからできたことです。たくさんの方の協力があったからこそ子どもたちが担任だけの学習では味わえない学習ができたのです。
 七滝小学校長の時、2年生の生活科で校区探検があります。この学習で、民生児童委員さんに「教室ではできないことをさせて下さい」とお願いしました。七滝小学校は周りが竹林に囲まれています。おじいさんがタケノコ掘りを計画されました。まだ2月のことです。竹山にタケノコは出ていません。そこでのタケノコ掘りです。子どもたちは「どこにタケノコがあるのだろう?」ととまどっています。おじいさんが山を歩きながら「ここを掘ってごらん」と地下足袋で印をつけた所を掘るとタケノコがあるのです。おじいさんは長年の経験から地下足袋ごしの足裏の感覚でタケノコの場所が分かるのですね。子どもたちはびっくりしていました。
 また、ある区長さんは通学区域内の危険箇所に手作りの看板を立て、子どもたちに危険から身を守ることの大切さを喚起させられました。
 甲佐小学校では、毎週水曜日をクリーン作戦の日として通学路のゴミを拾いながら登校していました。これに気づいた民生児童委員さんが「子どもがゴミ拾いをしているのに私たち大人が何にもせんでは済まない。大人もゴミ拾いをしよう」と地域に声を掛け、地域ぐるみの清掃活動が立ち上がりました。
 5年生の地域学習で、用水路の役割などについて調べていました。一通り学習が終わって、指導いただいた方が「ここには魚がいっぱいいるから魚つかみをしよう」と言われました。子どもたちは思い思いに用水路に入り、魚を捕ろうとします。川や用水路で魚を掴み取るには、やり方があります。それは、川下の方から川上へと上っていくことです。そうしないと、水が濁ってしまって川の様子や魚が見えません。子どもたちはそんなことは知りません。たちまち、用水路が濁ってしまいました。このことをていねいに教えていただきました。
 益城中央小学校では、運動会の昼食前の全校ダンスに「益城音頭」を取り入れようと婦人会の方に指導をお願いしました。昼の休みに指導していただきました。校区の運動会で「益城音頭に子どもたちがたくさん参加し、盛り上がりました」との声を区長さんからいただきました。運動会当日は、婦人会員ばかりでなく大勢の人が飛び入りで総踊りに参加されました。地域との連携の始まりでした。
 5年生は、バケツ稲作りをしていました。学校の周りには田んぼがいっぱいあるのにバケツ稲作では似つかわしくないと、農協青壮年部の方に相談しました。休耕田を借り、苗床づくり、田植え、水の管理、除草、稲刈り、脱穀、精米まで指導していただきました。私は、夏の暑い時期のガンヅメ押しを体験させたかったのですがこれはできませんでした。矢部地方では、まだガンヅメを押して除草しているところもあるようです。8月の田んぼにはいると、水ではありません。お湯です。それもかなり熱い。その水に入り、ガンヅメを押して除草することを体験させ、米作りの大変さを実感させたかったのですがこれはできませんでした。しかし、子どもたちは、進んで稲作りに取り組みました。秋には、図工の時間に案山子をつくって田んぼに立てたり、運動会では稲作をテーマに花笠音頭を披露しました。暮れには餅つきをして一人暮らしの高齢の方にプレゼントしたり、わら草履作りに挑戦するなど稲作を中心に多様な学習を展開することができました。これも地域の方の支援があったからです。
 6年生の社会科で、日本の歴史を勉強します。その中に室町時代の文化があります。茶の湯、水墨画、能などです。子どもたちは、教科書や図書室の図鑑や参考書などで調べてそのおおよそは分かります。しかし、良さなどは分かりません。文化の一端に触れて理解を深めていこうという取り組みがなされています。先日、清和小学校の校長先生から聞いたのですが、清和小学校の6年生は清和文楽に挑戦しているそうです。人形遣いばかりでなく、三味線から浄瑠璃語りまで子どもがするそうです。すばらしいですね。広安小学校では、能の学習で、謡曲を文化協会の方に習い社会科の時間に披露しました。学校で習う歌や流行歌とは節回しが全く違います。初めて聞く子どもたちは思わず吹き出そうとしましたが、謡を謡う子どもの真剣な表情に圧倒され、笑うのを止めました。公民館講座で水墨画を学ぶ人から墨絵を教えてもらっていました。茶の湯で礼儀作法や心を落ち着かせることの大切さを学びました。このように文化の一端に触れる学習をすることで文化に対する理解度、親密度は全く違ってきます。これも地域の人の協力があるからできることです。
 益城中央小学校では、「中央小フェスタ」と題して午前に学習発表会、午後昔遊び体験活動が行われています。その昔遊びで、私はちょんかけごまの遊び方を教えています。
 私は小さい頃、遊びの名人でした。遊びが仕事でしたから。夏は、スイカを一つ持って田んぼに行き、田んぼに水を入れる水車を踏んだり、用水路で泳いだり。昼飯はスイカでした。
 冬は、コマ回しや竹馬乗り。庭で焼く籾殻で、から芋を焼き昼飯代わりにして遊んでいました。その一つがここに持ってきましたちょんかけごま遊びです。
 どなたかやってみませんか?(一人手が上がる。やって貰う。上手にコマを回して貰う)
 上手ですね。
 私もやってみますね。(コマを回す)
 コマが回るようになるまでが難しいのです。コマはひもからはずれてすぐに落ちます。ひもを張る塩梅が難しいのです。回るようになってもそのまま続ければ、ひもが絡まって長くできません。それで、コマを宙に浮かして引っかけるのです。これを「そうめんがけ」と呼びます。さらに高く浮かせる技を「小振り」、「大振り」と言います。
 コマを回すだけでも1時間や2時間ではなかなか出来るようになりません。「出来るようになりたい」という向上心をくすぐるからおもしろいのです。子どもには回す要領だけ説明してあとは、実演して示すだけです。よく聞いて、根気よく練習して、私がするのをよく観察して何故出来ないのかを考えなければ出来るようになりません。これはほとんどの昔遊びに言えることです。
 七滝小学校での祖父母学級で、おじいさんが竹とんぼを飛ばしました。ブーンと高く舞い上がります。子どもが挑戦します。子どもがやっても上に上がりません。何回挑戦しても上がりません。おじいさんは何にも言わずに何度も飛ばしてみせられるだけです。おじいさんがするのを見ては挑戦し、失敗してはおじいさんに飛ばして貰っていました。そのうちに何故自分のは飛ばないのかを発見したのです。竹とんぼを飛ばすとき、右手が前の方にいくようにすりあわせるでしょう。それを子どもは右手を引いていたのです。発見したようにやってみると飛んだのです。そのときの子どもの喜びようは想像できるでしょう?
 私はここに昔遊びの良さがあると思います。
 私は現在公民館講座の学級生のみさんと一緒に、放課後子ども教室と学校支援地域本部事業で子どもたちにそろばんを教えています。公民館講座で学んでいる人は50歳だから70歳代まで18名の方です。仕事でそろばんを使っていた方、小中学生時代にそろばんを学んだ方、全くそろばんは初めての方、それぞれです。月2回の講座でのそろばん学習を楽しんでいらっしゃいます。その学習で得た技能を活かして益城町の学校でそろばんを教えて貰っています。
 その様子をこの3月、熊本放送のニュース番組で放映されました。それをご覧下さい。
 DVD「そろばん先生が行く!!」視聴(約6分)


 地域の力で地域の子どもたちを育てようと取り組んでいる人達がいます。
 その取り組みとは・・・? 取材しました。
 (益城町立飯野小学校放課後子ども教室)
 益城町立飯野小学校の放課後そろばん教室です。
 毎週月曜日の放課後、4年生と5年生15名がそろばんの練習に励んでいます。
 子どもたちを優しく励ましながら指導しているのは地域の人達です。
 そろばん先生と呼ばれています。
 教室ではそろばん先生7人が子どもを指導しています。
 「この子ども教室が出来るのは地域の方達が一生懸命学校に対して協力しようという気持ちがあるからです」(そろばん先生の代表 中川有紀さんの話)
 そろばん先生の代表 中川有紀さんは元小学校の校長先生です。
 だれよりも子どもたちの気持ちを大事にしています。
 子どもの声
 「楽しいです」
 「分かりやすいです」
 「ダメなところがあるとしっかりと厳しく注意して、普段は優しい先生なので」
 5年生の○○君は小学生には難関と言われる3級まで進みました。そろばんを初めて2年目の快挙です。
 教室のみんなが○○君を目標にしています。
 「4級合格 おめでとう」
 この日は2月に行われた商工会主催の検定試験を受けた子どもたちの結果が発表されました。
 そこにはたくさんの笑顔がありました。
 「頑張る姿を見ていると教えていて良かったなと思います」(ボランティア指導者の話)
 (益城町公民館講座)
 益城町公民館では月に2回そろばん教室が開かれています。
 平均年齢は65歳。
 ほとんどの人が、そろばんを習うのは小学校以来です。
 講座生の声
 「最近物忘れがひどくなって、少しでも脳の活性化になるかと思って」
 「(妻の趣味がそろばん)夫婦が仲良くなるためにそろばんを始めました」
 「さびた脳に油を注す、そんな感じで」
 中川さんは学校を退職後、公民館でそろばんの講師を務めてきました。
 そろばん先生代表 中川有紀さんはこう言います。
 「自分のお金でカルチャーセンターで学ぶのと町の税金で公民館で学ぶのは私は質が違うと思います。だから町の税金で学ばせて貰っているならば町のために恩返しをする。お返しをする。」
 中川さんの熱い思いが地域の人達を動かして15人のそろばん先生が誕生したのです。
 そろばん先生は小学校の算数の授業でも活躍しています。
 (広安西小学校3年4組)
 この日は、子どもたちにとって初めてのそろばんの授業です。
 そろばん先生は学校の先生の授業内容に沿って子どもたちをサポートします。
 「指を立てて、そうそう、じょうず、じょうず」
 そろばん先生は子どもたち一人ひとりの手を取って教えました。
 子どもの声
 「はじめは分からなかったけど、分かるようになったからよかったです」
 「分かりやすかったです」
 ○○先生は
 「大変助かると共に地域のみなさんとの親睦という意味でもとても有難いです。子どもたちにとっても私にとってもとても良かったと思います」
 そろばん先生の活動が始まって4年。
 評判は上々です。
 そして、何よりそろばん先生のボランティア活動は、そろばん先生の「生きがい」につながっています。
 「とても楽しく今生きがいを感じています」
 「子どもたちに負けないように頑張らないとと思って、それを目標にしています」
 「私の方が元気をもらっています」
 地域の力で地域の子どもたちを育てたいと願う中川さんの思いはもっと別の所にあるのです。
 「自分自身を誇りに思う。大事にする。そういう心を子どもたちがそろばん学習を通して養ってくれたらいいなと思っています」

  
 いかがでしたか。
 また、そこに示していますのは、ビデオに登場した一人の方の手記です。読んでみます。


 私は、70歳でそろばん教室を受講しました。60年ほど前、そろばんを学校で少し習いました。それ以来のそろばんです。ですから、「1+1」から教えていただきました。10までの足し算・引き算ができるようになり、見取り算の練習に入りました。そして、かけ算・割り算を教えていただきました。練習を始めて6ヶ月後、8級の検定試験を受けました。試験を前に、心臓がどきどきするのが分かります。試験となるといくつになっても緊張するものです。試験に合格し、先生から合格証をいただいたときのうれしさは忘れることができません。小中学生の頃にかえったようでした。それから、そろばんのおもしろさが分かり、毎日、時間を見つけて練習しました。4級の試験では、210点での合格でした。練習の時は、ほとんど満点が取れていました。合格はしたもののあまりうれしくありませんでした。そこで、家で一人、試験のつもりでやってみました。かけ算・割り算・見取り算すべて満点でした。思わず、万歳と叫びました。
 小学校のそろばんの勉強の手伝いに行きました。親指だけで珠を入れる子、珠を入れるのは親指か人差し指か迷っている子、5珠が下りているときの足し算の仕方が分からないで悩んでいる子、それらが手に取るように分かります。「7はいくつで10になるね」などの声かけで、「分かった」と珠を動かしていきます。分かったときのあの笑顔は忘れることができません。私のちょっとした声かけで子どもが分かったときは、私もうれしくなりました。そろばんの勉強が終わって、給食をごちそうになり子どもたちといろんな話をしました。
 近くのスーパーで買い物をしているときなど、「あっ、そろばんの先生。こんにちは」と挨拶する子が増えました。私も、「そろばんの勉強はしているね?」「先生の話はちゃんと聞いているね?」などと声をかけるようにしています。
 そろばんの練習を通して、新しい友だちができました。子どもたちとも顔見知りになりました。これは、私の一生の宝物です

 ボランティア指導者の○○さんが熊日新聞に投書したものを読みます。


 ぼけ防止にと、益城町公民館講座でそろばん講座に入り、月に2回練習しています。
 50年ぶりのそろばんですが、自然に手や指が動き、自分でもびっくりしました。学校や職場でやっていたことを体が覚えていてくれたのか、動きの遅かった指が練習を重ねるごとに早くなり、脳の活性化にはそろばんが一番だと思いました。
 最近は脳の活性化と同時に楽しみが増えました。それは、月に数回「放課後子ども教室」にそろばんの指導員として町立津森小学校と飯野小学校へ行っているからです。益城町では、公民館講座で学んだ知識、技能を地域と連携した学校教育の一環として「放課後子ども教室」へ行き指導しています。
 わんぱく盛りの子どもたちが少しずつ、そろばんに興味を持ち、やり始めたときのうれしさ、そして商工会主催の珠算検定試験に向かって一生懸命練習する子どもたちの姿を見ていると、自分の老いを忘れてしまうほどです。検定に合格した子どもたちに拍手を送り、子どもたちにいろいろ教えられる日々ですが、そろばんを通してこんな毎日が送れることに感謝しています。

 これまでいろいろと私の実践例を中心に話をして参りましたが、地域の宝である子どもたちを地域ぐるみで育てていこうとの取り組みです。
 校長先生からお聞きしたところによりますと、本校では本日おいでの皆様を始め多くの方が授業のお手伝いをしていらっしゃると言うことです。みなさんの豊富な知識と技術により先生方も力強く思っていらっしゃることでしょう。子どもたちも地域の方との触れ合いを楽しみにしていることでしょう。
 よりたくさんの方が学校においでて子どもと触れ合われることによって、多様な学習活動が展開され、より豊かな心と学力が子ども達の身につくようになることを祈念しています。
 そして、この取り組みが矢部小学校ばかりでなく、子ども一人ひとりを幼児期から高校卒業まで地域社会全体で見守り育んでいく取り組みに拡がることを期待して話を終わります。